長野県長野市の新築・分譲マンション「サーパス石堂ゲートマークス」の石堂「歴史 HISTORY 」

石堂

石堂

「石堂」の
魅力を探る。

  • 歴史 HISTORY
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石堂という地名は、西光寺(かるかや山)ゆかりの刈萱(かるかや)道心の子・石童丸にちなむ、といわれています。それは西光寺境内にある石童丸の墓ともいわれる鎌倉時代に建造された石塔が由来と考えられています。
「石堂」は、妻科村後町組・新田組・石堂組として町が発達し、江戸時代後半に善光寺町

善光寺本堂(約1,680m・徒歩21分)写真提供:善光寺

と共に経済的中心の役割をもち、物資が集まり、経済都市の性格を強く持ち発達しました。現在の「石堂」の町域は、長野駅前から中央通りを北上し、かるかや山西光寺・北石堂町までです。それは長野善光寺への入口であり、市内の中心に位置しています。

善光寺本堂(約1,680m・徒歩21分)
写真提供:善光寺

■西光寺(かるかや山)に伝わる「刈萱(かるかや)伝説」

「刈萱伝説」によれば、刈萱(かるかや)道心は元は筑前国の領主で、俗名を加藤左衛門尉重氏といいました。世の無常を感じた重氏は出家して高野山に赴き、仏道修行に励みました。刈萱道心の出家後に生まれた子である石童丸と母は父を探して高野山に行き、刈萱に「父ではない

西光寺刈萱道心と石童丸の銅像(約240m・徒歩3分)

ですか?」と尋ねますが、出家の身である刈萱道心は涙を堪えて「そなたの父は死にました」と告げます。刈萱道心はその後、善光寺阿弥陀如来のお告げを得て信濃国に移つり、善光寺近くに庵を営み、そこで往生を遂げました。この時の草庵が寺院となったものが西光寺なのです。

「刈萱伝説」によれば、刈萱(かるかや)道心は元は筑前国の領主で、俗名を加藤左衛門尉重氏といいました。世の無常を感じた重氏は出家して高野山に赴き、仏道修行に励みました。刈萱道心の出家後に生まれた子である石童丸と母は父を探して高野山に行き、刈萱に「父ではないですか?」と尋ねますが、出家の身である刈萱道心は涙を堪えて「そなたの父は死にました」と告げます。刈萱道心はその後、善光寺阿弥陀如来のお告げを得て信濃国に移つり、善光寺近くに庵を営み、そこで往生を遂げました。この時の草庵が寺院となったものが西光寺なのです。

西光寺刈萱道心と石童丸の銅像(約240m・徒歩3分)

出典:長野史/長野図書館所蔵
(妻科村・員外・刈萱父子地蔵略縁起之寫)




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※距離表示については地図上の概測距離を、徒歩分数については80mを1分として算出(端数切り上げ)したものです。

※掲載の環境写真(imageを除く)は、すべて2020年8月に撮影したものです。